コモド島

 

 

 



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2014年暮れから正月にかけて、念願のコモド島へ娘と孫の3人で行くことになった。コモド島に棲む「コモドオオトカゲ」を見てみたいし、コモド村に伝わる民話もききたかったからである.

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バリ島から国内線でフローレス島のラブハンバジョウまで飛び、そこから小船をチャーターして丸2日かけて帰ってくる予定をたてた。

確か、料金は、2500000ルピア(25000円位)だったと記憶している。3人分の結構豪華なご飯付きでこの値段なので、なんだか得した気分だった。

 

大小の渦潮を避けて青い海をすすんでいくと、小船の傍らを小さなモンシロチョウのような蝶が、船と同じ進行方向に向かって、懸命にか弱い羽を上下させている。以前に海を渡る蝶がいると聞いた事がある。しかしそれを目の当たりにすると、胸が痛くなるほど熱くなり、思わず船から身を乗り出して「ちょっと休んではどう?」と手を差し伸べてしまった。

やがて進路を大きく右へきった私たちの小船から蝶は見えなくなってしまった。

 

5時間余りの後、樹木がほとんどない小高い山のコモド島が現れた。その山すその砂浜に沿ってコモド村が広がっている。船着き場で船長が、「水と食料を調達してくるから奥さん達は、村の中でもブラブラして来てくれ」と言うので村へ上がってみた。

 

村は海岸に沿った一本道の両側に、粗末な高床式の家々がひしめきあって建っていた。その道の両側もまた、台風で打ち上げられた後のように木っ端、ビニール袋、汚物、動物の死骸などがごちゃごちゃと転がっている。 

貧しい村である。

しかし、大人たちは道端にゆったりと微笑みながら腰掛けている。子供たちも底抜けに明るい。キャッキャッと笑いながら私たちの後をついてくる。

11才の孫にはここの人々はどのように映って見えているのだろうか。娘も同じことを思っていたのだろう。歩きながら「みんな一生懸命生きているんだね」などと、孫に説明するように語り掛けている。

ところが、以外にも、ひ弱な孫は「ボク、こんな所に住みたいな。みんな楽しそうにだもの」と言うのである。エエツ!と驚いた私と娘は、つくづく「幸福」とはなんだろうと考えてみる事になった。

ここは、隣もその先も、みんな貧しく同じだ。だからひがみや嫉みが少ないんじゃない。その差が大きくなればなる程ひがみや嫉みが大なる。人間だからという事になった。

  

 

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村長の家で中途半端な昔話を聞いてから船着き場に停泊している船に戻った。その晩は船で寝るというので、船長とそのアシスタントが作った豪華な夕食を早目に食していた。

すると、いきなり空が暗くなり雨と風が吹いてきた。船が大きく揺れだしたので、あれぇ~などとのんびりと空を仰いでいると、「奥さん、何してんだ!早く部屋に入れ!急げ!」と船長に怒鳴られた。

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  顔はゴッツイが、根は優しい船長とアシスタントが、尋常ではない顔つきになって慌てふためいている。

雨混じりの風が暴風に変わり唸り始めた。船長は、私たちを船尾にある寝床の小部屋へ押し込んで、「暫くここにいるんだ!出て来るなよ!」と、大声で叫んでからガラガラッと戸を閉めた。

「綱、綱、こっちだ早く・・・・!」ゴーゴーと吹き荒れる雨風と小船にぶつかる荒波の音に混じって、男たちの叫び声が響いてくる。嵐の中で必死に何艘かの船を綱で繋いでいるようだった。

 船尾の小部屋の半分は、高さ80cmくらいの寝床となっている。それは粗末なベッドで、ただ単に柔らかいスポンジに布を被せだけのもので、横になると体が異常なほど沈み込む。蒸し暑さと揺れで、次第に気分が悪くなってきた。臭いも嫌だった。

 何時間このままなのだろう。もしかしたらずっとかもしれない。いや、無事で朝を迎えられればいいが、最悪どうなるのだろう。綱が切れて遠くに流されて転覆も有り得る。逆さになった船の上部の小さな空間に頭3つ浮かばせながらアップアップしている三人が十分に想像できた。

 眉間に皺をよせながらぐったりとしていると、突然娘が、「ギャー」と大声をあげて壁を指さしている。指の先には、大小様々なゴキブリが、船壁の繋ぎ目を阿弥陀くじのように移動している。

 どのぐらい時間が過ぎただろう。暴風はまだ止みそうもなかった。間もなく、再びガラガラッと戸が開いて船長がビショビショになった顔をのぞかせた。「もう、大丈夫だ!休んでくれ」しかし、私も娘も眠れなかった。唯一、孫だけはすやすやと眠り続けていた。

 

 

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 結局、一睡もできないまま朝がきた。薄暗い海に朝の匂いが広がっている。背伸びをして、トイレの中を覗き込んだ。何事もなかったかのように静かだった。

 もう少し安い船だと、トイレの穴はぽっかりと海につながっているらしい。つまり、排せつ物はそのまま大海に消えていくのだ。しかし、このトイレはそうではない。キープされていたようだ。

 やがて、朝ごはんの後、船はコモド島の東海岸の入り江に上陸。桟橋をわたって行くと、コモド国立公園の入口があった。

 ザワザワしている人々の中から、昨日コモド村の  村長宅にいた青年がひょっこり顔を出した。私達のレンジャーを名乗り出てくれたようで、1メートル60センチほどある先が二股になっている棒を立てて、「何かあったらこいつでコモドを(コモド大トカゲの事)はねのけてやるから!心配するな」と意気込んでみせた。

 しかし、たったひとつ、心配があった。娘が月の物になってしまったのだ。オオトカゲは、血の臭いに敏感で、そこをめがけて襲ってくると聞いていた。まあ、この奥には行かないで入口あたりで待っているしかないだろう。そう思いながらレンジャーの青年にどうしたらいいかと一応訊いてみた。すると、以外にも「俺がいれば大丈夫だ。だからみんなで行こう」と、頼もしい言葉を返してきた。

 

 

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 国立公園といっても、広大なジャングルである。むんむんとむせ返る暑さの中で、土の小道を進んで行った。突然、レンジャーがピタリと足を止めた。その先に、あのオオトカゲがこちらを睨んで立ち止まっているのだ。体長2.5メートルぐらいで、「シュー、シュー」と音を立てながら二つに割れた舌をシュルシュル出している。その足、でっかい!爪もでっかい!恐竜である。

 

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 間もなく、オオトカゲは私達の方に向かって来た。

咄嗟に私はヤバイと思った。

レンジャー、孫、娘そして私の順番に縦一列に並んだまま固まった。レンジャーは私達3人を覆うように右手を後ろに伸ばしてきた。じっとしていろという合図だ。もし娘が襲われそうになったら...私が跳びだす......息をひそめるようにじいっとしていると、オオトカゲが前足を右、左と交互に、外側から内側に半円を描くように地面に食い込ませながら通り過ぎていく。「シュー、シュー」 血の臭いはしているのだろうか?通り過ぎるまでの時間が長い。今思えば、たかが1分足らずだったと思うが............

 レンジャーが二股の棒を突き刺すようにガッツと踏ん張っていてくれたせいか、オオトカゲは私達の前を堂々と恐怖をふりまきながら通り過ぎていった。何度もいうが、まさに恐竜だ。たいした奴だ。


 

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 去っていったオオトカゲを尻目に道を進んでいくと崖になっていた。山羊、鳥などいたが全て野生なのだという。あるがままの自然の中でオオトカゲを守ろうとしているのである。

  レンジャーはこの自然公園はぐるっと回ってすぐだなどと言っていたが、とんでもない話だった。私達は小高い山をひとつ越えるハメになったのだ。ハアハア言いながら山を下りて行くと、川岸や小屋の周りにオオトカゲがゴチャゴチャいた。

  オオトカゲはこの島では「オラ」と呼ばれて大事にされている。過去にも、つい最近でも、「オラ」に食べられたり襲われたりした人間がいるにもかかわらず、島の人々は「オラ」を恨まない。それは、コモド島に伝わる「話」によると、「オラ」は兄弟。もともと人間だったからだ。

「オラ」と島の人々のかかわりを知った私達は、優しい気持ちになってコモド島を離れた。そしてラブハンバジョウに着いたのは夕方近かった。ラブハンバジョウのマンゴーは安くてうまい。一個90円くらいだ。

 

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